こだわり
創業以来の名物
麦飯とろろ汁
平八茶屋の“麦飯とろろ汁”は、街道茶屋であった創業当初から初代平八によって出されていたものだと言われております。若狭街道(通称:鯖街道)を行き交う旅人は都より一里のこの茶屋で、しばしの休息後、“麦飯とろろ”をかき込んで、京をあとにしました。江戸時代の旅行ガイドブック「拾遺都名所図会」の第3巻、山端(やまばな)の箇所には、“麦飯ちゃ屋”として記載されております。また、同じく江戸後期の「浪花講定宿帳」には、“いも汁や 平八”としてその名が記載されております。
「とろろ汁」
平八茶屋の“とろろ汁”は、上質の丹波産つくね芋をやさしく丹念にすりおろし、北海道礼文島香深浜で採れる天然の利尻昆布と鹿児島県枕崎産の本枯れ節の鰹節を使った秘伝のだしでゆっくりとのばしていきます。直径50㎝ほどもある大すり鉢で、のばすほどにきめは細かく、より一層なめらかになり、粘りも出てきます。少し白味噌を入れることで、山芋特有の香りを抑え、まろやかな風味へと変わっていきます。丹波産つくね芋の特徴は、色が白く、キメが細かく、粘りが強い。上質のものになればなるほどアクは少なくなり、京菓子の材料としても使用されております。
「つくね芋」
つくね芋は、まず種芋造りから始まります。種芋にする芋を切って、1つ5g位の大きさにし、これを切り口を上にして土に埋め、200g~400g位まで育てます。その育った芋を1つ50g位の大きさに切って、4月頃、その種芋を植え、大きく育てていきます。6月頃に芽が出て、茎はどんどん伸びてきて、芋は次第に肥大化していきます。肥料をやりながら有機質の土で育て、11月頃が収穫となります。一本の茎には芋は一つだけしかできません。畑は茎と葉でいっぱいになるので、上に伸ばしたりもして育てていきます。秋に収穫された芋は新芋で青臭く、アクも水分も多いので、すぐに使うことはできません。水をかけながら、低温の保管庫で寝かせておきます。
昔は、涼しい場所に収穫した芋を山積みにし、上からむしろをかけ、その上に土をかけて水をまき、保管していたそうです。これで、1年くらいは十分に持ちます。保存食としても、大切にされていた芋でした。年が明け、程よく水分も抜け、肉質もしっかり締まってくれば、味も落ちつき、出荷となります。
「麦飯と朝日米」
平八茶屋の“麦飯”は、今は白米に麦を少し混ぜた“麦飯”となっておりますが、当時、米は年貢として納められ、とても庶民の口に入るものではなかったようです。五穀の中でも栄養価の高い麦が、茶屋で出せる最上のものでした。ただ白米と違って、麦はパサパサとして食べにくい。昔の人は、そんな“麦飯”に、山芋をすりおろしたものをかけて食べていたのだと思います。これが“麦とろ”です。
時間もかからず、さっと食べられる。麦にはビタミンB1、B2が豊富に含まれており、山芋には良質のタンパク質が含まれております。後々わかることですが、山芋にはジアスターゼという消化酵素が含まれており、消化の悪い麦の手助けをしました。街道を行く旅人がさっと食して旅路についても、腹に残らず、すぐに動き出せる。当時の人たちにとっては、本当に効率よく、理にかなった食べ物だったのだと思います。現在、平八茶屋で麦と合わせている白米は、岡山県産の朝日米です。この米は、もともとはコシヒカリの母方のお米。京都で作られていた京都旭がもとになっております。大粒で少しパサッとした米なのですが、米の風味はしっかりとし、麦との相性はとてもいい米です。これにとろろをかけると、米、麦のそれぞれの存在感をしっかりと残しながら、とろろがうまく絡み、食感もよくなります。とろろにかけた青海苔が、香りもよく、麦飯とろろを引き締めます。
「しば漬」
洛北の漬物と言えば、大原の“柴漬け”。本来は“紫葉漬け”と書き、赤紫蘇の葉で漬けた漬物のことです。大原の赤紫蘇は背も高く、畑に生えている姿が、柴のように見えるところから、“柴漬け”という字が当てられることもございます。“しば漬”は、“すぐき”、“千枚漬け”に並ぶ、京都の代表的な漬物で、もともとは、夏野菜を保存するため、塩と赤紫蘇で漬け込んで、乳酸発酵させたものでした。乳酸発酵では、酸味も強く、日数もかかるため、今では酢などを使って漬けている浅漬けのものもございます。昔ながらの製法を守ったものを“生しば漬”と呼んでおります。平八茶屋でお出ししているお漬物は、この大原の“生しば漬”でございます。酸味も強く、香りも独特で、昔ながらの漬物となっておりますが、深みのある乳酸発酵した酸味は、食べていくうちに、ふくよかな味へと変わっていきます。平八茶屋の“とろろ汁”は、この乳酸発酵させた漬物ととても相性がよく、一緒に食べても“とろろ”の味を邪魔せず、また“とろろ”が“生しば漬”の持つ酸味や香りを和らげ、お互いがそれぞれの風味を引き立て合っております。